赤い靴

 靴が好き。しかし引きずるように歩くので、すぐに踵が減り、金属音が耳に障る。そして天候を見誤る。その度に119番を繰り返す。要は履き方と扱いが下手。

諭す人が居てくれた。
ある日同僚にスタイリスト御用達の良い店があると聞き、とある修理屋を訪れた。山の手圏内高級住宅地のマダムが出したであろう高価そうな靴が棚にずらり。エルメスのバックがこれみよがし、契約しているのだろう某セレクトショップの段ボールが宅急便のラベル付きで堆く積まれ、お世辞にも広いと言えない店はいっぱいだった。ストライプシャツの第二ボタンを開けた上にニットベスト、緩いデニム、ゴム地のエプロンを纏った白髪御主人はぶっきらぼうだった。「・・・いらっしゃい。」如何にも職人という口利きだ。持ち込んだ数足を一足ずつ確かめる。一足目を見て軽く溜息をつく。マダムにお馴染みだ。「(またMか・・・)」しかし残り数足を見て明らかに目の色が変わった。私の大好きな赤い靴裏の数足。見慣れているであろうに、唸るように靴を手に取り「(ここの靴なら)こうしようか」そうぼそっと呟いた。以来そこが私の靴の病院になった。
いつのことだったか、説教をされながら断られたことがある。そのメーカーは職人気質に訴えるものがあったのであろう、そんな手入れをするもんじゃない、もうしばらく履いてから持ってこい、短いやりとりの中でいろいろと勉強させていただいた。堆く注文品が溢れる店内、出来上がりまでの時間がどんなにかかろうとも、店に行くのが楽しみになった。
 しばらく時間が空き、久し振りに店を訪れた。店の雰囲気がどうも違う、見慣れたお弟子さんがいない。訊くとご主人が病気で他界されたとのことだった。考えるとご主人は近頃不在がちだったような気がする。元々自由が丘の店から独立したそうだが、他界された後、別のオーナーが買い取りお弟子さんはどこかに行ってしまったという話だった。持ち込んだ手前お願いしてみたものの、チェーンに持ち込むのと何ら変わらない、あの味気のない事務的な感じ。ご主人のあの愛情に溢れた言葉少なな振る舞い、私があの店に通っていたのはそれが好きだったからだった。受け取りに行った際に再確認。もう二度とあの店に足を向けることはないだろう。
靴のことを思う時、今でもあのご主人を思い出すと、心に温かいものが灯る。貴方に診ていただいたあの子達は替わって大切にします、だから安らかにお眠りください、そう祈るばかりである。