戦前と戦後のリアリズム
芸術劇場「楽屋」
観たかった作品。
清水邦夫に出会ったのは、言うまでもなく蜷川さんだ。
Festival/Tokyoの一環でにしすがも創造舎で行われた「95kgと97kgのあいだ」(「真情あふるる軽薄さ」現代版)や「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」が記憶に新しい。しかし、清水邦夫に関しては、公演が先ではなく戯曲を読んだのが始まりだった。
戯曲を読むのは不得手。戯曲という形を初めて目にしたのは、小さい頃実家の書庫で本を漁っていた時だった。安部公房は大好きだったが、戯曲の壁を超えられるほどではなく、結局戯曲を読んだのは後年野田さんに填ってから。実は未だに慣れない。
- 作者: 清水邦夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1992/06/30
- メディア: 単行本
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舞台は、ナイロン村岡さんが主演を演じるチェーホフの「かもめ」公演中の楽屋。劇中劇のあるチェーホフ舞台の裏の楽屋では三○○えり子さんとキョンキョン演じる万年プロンプターがメイクしつつ、来ない出番を待っている。二人がその来し方を語る中で「かもめ」「三人姉妹」や「マクベス」の台詞も劇中劇の体をとらずばんばん出てくる。劇中劇対非劇中劇、“主演女優”対「女優」という生き物の“妄執”を対比構造で描く。痛烈だ。この錚々たるメンバーの中、入院していたプロンプ女優蒼井優ちゃんが現れる。病んでおり、役を返せと可愛く迫るが、主演女優に打ちのめされてしまう。この蒼井優ちゃんの臆さない演技がかなりよかった。キャラが合っていること以上に、表情演技が細やか。そして意外な肢体の美しさ。バレエで造り上げられた所作が非常に美しい。首の後ろの長さ、頸椎の形状の美しさ。何かのタイミングで後ろに下がる時、無意識に指の足で床を擦っている。お能の摺り足同様、十年単位で積み上げないとああはならない。
本編放送後、生瀬さんとえり子さんの対談。えり子さんはいつまで経っても少女の様で本当に可愛らしい。*2ある日楽屋の壁にあったアイロンの痕から連想し女優の怨嗟を描いてみたかったという清水戯曲より、この舞台の印象が戯曲より柔らかいのは、謂わば問題に対する演出家のいち答えに演者の想いを乗せて、同時に提示しているからではないだろうか。えり子さん言う生瀬さんの神演出と、そして演じる側の総ての先達に対する尊敬の念にあるのだという考えに至る。衣装の色=登場人物、そして蒼井優ちゃんの枕の表と裏=ストーリーの転換、この二つの陰陽で視覚的にとても解りやすい演出がなされている。
ところで、昨年冬辺りからどういうわけか観ると亡霊もの*3に当たる(苦笑)題材の多さ(ファンタジーからホラーまで転じやすい)、季節柄、そして何より制作側が一様に感じ取っている世相を反映したものではないかと考えている。こちらはもう少し考えを寝かせてみたい。
次回はプロペラ!ちょうちょう楽しみっす!!芸術劇場毎回相当美味しくいただいてます。
追記
忘れてた!小泉さんと蒼井優ちゃん前に舞台で共演してたね。