油膜を纏う亡骸
チェーホフの四大喜劇。赤坂ACTシアターで上演中、すごい観に行きたくて結局都合足を運べなかった作品。当時仲の良かった主役ファンにはとかくいい睡眠薬だったようだ。清水戯曲「楽屋」の劇中に出てくる田舎の女優が呟く「わたしはかもめ、いえわたしは女優」はこれが出典。演出は栗山民也さん。
詳しい所感は改めるが、やはり喜劇なんだと感じた。ド頭のデカダン劇中劇を演る若者と娘、それを仕方なく観てあげる大人達、さらにそれを観る観客の関係性。辛辣だが、この若者は明らかに道化として描かれる。人は親を選んで生まれ、親は子を預かり、土地が人を造る。ニヒリズムと家族愛と可笑しみ。
最近トーキョーリングづいているせいか、ニーチェのツァラストラが浮かぶ。*1既に古典「型」と成っている戯曲なだけにいろいろなカンパニーで観るのが大変興味深いだろうと思わせる作品。
でもコレダメな人はまったくダメだろうな(笑)新訳だそうです。つくづくあの夏「ロマンス」を観ておくべきだった!と自分にひゃくまんかい。